かおるの日記。

日々の考え事を記録するブログ。

編集アシスタントとしての初仕事。

うれしかったから、記録がてら書きます。

 

編集プロダクションに入って半年(アルバイト3か月、契約社員として入社して3か月)、初めて仕事で、取引先の人にお褒めの言葉をいただきました!!!( ;∀;)

 

うれしい。うれしすぎる。

 

今までの仕事で、こんな短期間で褒められたことってほとんどなかった。(旅行会社、ホテルの営業、催事場の運営)

未経験の仕事だけど、大きな自信になった。これからもっと改善するところはある。

 

でも、いいよね。わたし、自信もっていいよね?

 

編集プロダクションの編集アシスタントがどういう仕事かは、またくわしく書くことにする。

 

とにかく今週は、本当に最高だった。

 

週明けからも、がんばります!!

 

就職、決まる。

とりあえず就職決めました。

いいんだか悪いんだか。。。

とある編集プロダクションで編集、ライターをやってみることにしました。

 

編集プロダクションといえば死ぬほどブラックって聞いてます。存じ上げておりますとも。

 

でもま、一度やってみたかったから。

昔から文章扱うの好きだったし。なにより

 

憧れを潰しておこうと思って。

 

やらない後悔より、やって後悔のほうがきっといい。

 

散々ネットで調べて、散々な書かれ方をしていたけど、この仕事だけはどうしてもやってみたかったのです。

 

やってみて、喜んだり絶望したりしたいのです。

 

つくづく、体当たりの人生だなと思います。人から止められたくらいでは意思を変えられない。

 

憧れはだんだん美化されていき、叶えられなかった思いと一緒に腐ってしまう。

 

私の後ろにずっと落っこちたまま、いやもしかしたら、ずっと腐ったなにかをカバンに入れたまま生きていかなきゃいけない

 

そんな気がしたのです。

 

しばらくは6時間ほどのアルバイトを週2~3から始めて、本採用(契約社員)になるみたい。

 

気は早いけど、早く仕事を覚えて一人前になり、フリーランスになりたい。

 

道としてフリーランスになることもできるらしくて、そこがすごく気になってます!

 

頑張れるかがかなり心配ですが、来週から頑張りますよ。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

行き詰まる就活、と私のきもち

コロナショックを肌で感じる。

ひ~、転職活動、決まらん。

エージェントいわく、1つの求人に対しての応募が多いらしい。

返事や選考にとにかく時間がかかる。

まあそりゃそうだよなぁ。

 

しかし、リーマンショック後の新卒就活よりはマシかも…

わたしは2011年卒の人間なので、リーマンショックの就職難も経験したのですが、

肌感覚としてはその当時と同じ感触がしますね。

ただ、転職に関しては、新卒のころよりはずっとハードルは低いです。

 

まず、応募が楽ですね。エントリーシートがないから。

あと履歴書もパソコンで作って印刷したものでいいから、準備もサッとできて楽。

面接で「あなたの宝物はなんですか?」とか「あなたの学生時代最も頑張ったことはなんですか?」とかいう質問もない。

それに新卒の時は、高望みして少しでも大企業に、名の知れた企業に、と必死だったので、当たりもしない無駄な弾を打っていた気もする。

今は、「経験とこれからの展望」みたいなテーマで動けるので、ずいぶん楽になった。

しかも自分が大企業に向かない体質ってこともわかっているので、変な高望みもない。

 

それでも行き詰まる理由は、わたしが今後のビジョンを見失ったから

たぶん理由はわかっている。っていうかこれしかない。

近々「出産をして、育児をしても続けたい」と思っているから。

本当は前職を続け、その中で出産・育児をつもりだったのだが、契約内容を変えて深夜シフトも入ってほしいといわれ、それは嫌だと思ってやめてしまった。

前職に入社したのが29歳。今はもう31歳だ。

面接時に、正直に出産の希望はあると伝えているので、倦厭されてもしょうがない。

特別な資格などはないので、どうしてもここからのブランクは作りたくない。

できれば出産前に働いて、そこで続けていく方針で行きたい。

 

と、思っていたけど、ここまで書いて虫が良すぎる気がしてきた。

 

長い人生、正社員で働いてない期間があったって良くない?

最近そう思う。

人生長いのだから。

ずっと働かないつもりではないんだよ。

8年くらいかな。子供作って、産んで、その間だけ。

その間は非正規とか、フリーランスで家庭とのバランスとりながら。

で、また正社員に復帰・・・って、それができたら苦労しないんだ!

 

でもわたしは決めた。

7月中に正社員になれなかったら、非正規で働いて子どもにシフトする。

 

揺れるわたしの気持ち。

どうなる?

 

 

やれやれ。

 

心境の変化 ~子供をもつことについて~

子どもを産むことへの抵抗

こんなことを書いたら後悔するかもしれない。

でも、今思っていることを正直に記すことは、あとから見返してまた考え直すきっかけになるから書く。

わたしは最近まで、「子どもを産むこと」に非常に抵抗があった。

今も少しある。でも確実に、それが薄れてきている。グラデーションみたいに。

そのうち「産みたい」になりそうで、そうなったらもしかしたら

「産みたくない、産むのが怖い」と思っていたころの気持ちが無くなってしまうかもしれない。

妊娠したらマタニティーハイ、産んだら子どもを守るための魔物になって、もう戻れなくなってしまう気がして、完全に変わってしまう前の今、書くことにした。

 

訳のわからない役割をふられる感覚

子どもを産んだら、母親はわき役になってしまう気がしてしまう。

ドラマでも映画でも「母親」のポジションって「なんだか物語の筋をよくわかってなくて、主人公である子どもの危険を過剰に心配する役」として描かれません?

わたしはそれがすごく嫌でした。

そんな母親を子どもは鬱陶しいと邪険にして、衝突して、結局最後は母親が「子どもだと思っていたけど、成長していないのはアタシだったのね…」とか言い出すパターンじゃない?(古すぎますかね)

自分がそれになるなんて嫌すぎる。

産んだ瞬間「常に」「子ども第一」で生きることが美徳みたいな世界に突入するのが…痛すぎる。そうならなきゃ許されない。そんな聖母みたいになれない、絶対。

 

やっと獲得した「愛情注がれる順位 第1位」を手放したくない

これ、書くのすごい迷います。

これ書いちゃったらどう考えてもやばいやつになるんですよ…。

お前自己中かよって思われること間違いなし…。

なんなら「そんなこと思ってるなら一生、親になるな」って思われそう。

しかし書かなければ乗り越えられない気がするから書きます。

広い世界には絶対、わたしと同じ思いしてる人もいるはずでしょ!

ええい。

 

生い立ちのようなもの

実はわたし、夫と結婚してやっと「飾らない自分を愛してもらってる」という感覚になったんですよね。

長くなるので、下記は読み飛ばして次の太字に進んでいただいても大丈夫です。

記録したいのです。

 

実家の両親は、新興宗教を「信じる/信じない」で信条が分断していて、しょっちゅうもめてました。

で、わたしと弟は物心つく前に信者になっていて、非常に微妙な立ち位置で育ってきました。

宗教活動をすれば信じない父を傷つけてしまい、活動しなければ母を傷つける環境にいました。どちらも同時に幸せにすることができていない感覚が幼い頃からずっとわたしの心を支配し、わたしの心はいつもぐらぐらしていました。

宗教活動に出かける前、父親に申し訳なくて、むすっとテレビを見る父親を振り返っていた記憶があります。

 

せめていい子でいることが、わたしの心を落ち着かせていました。

あまり活動のことは、父親には話さないようにしていました。

たぶん、仲は良かった、とおもっています。

 

が。大事件が起こります。

わたしが高校生の時、父が知り合いと浮気をしていることが発覚。

わたしのせいかな、と自分を責めました。

わたしが宗教の信者で、父にさみしい思いをさせたからかな、と悔やみました。反抗期でもあったし。

 

母はここで一時的に心を壊し、わたしにいろんなことを相談してきました。

わたしは相談や、時には愚痴に必死に乗り続けました。

そこで初めて、父が生活費をあまり渡してくれないことを知りました。

今でも、給与明細は渡していないそうです。

 

そのころはかなりきつかったです。

親が、わたしの聞いたことない声で別室でもめているのが聞こえてきたり、

父が嘘くさく「愛してるよ」といった言葉に吐き気を催したり、

母が泣きながら結婚指輪を投げて、わたしが拾ってみたり…

いろいろありすぎて、当時のことは嫌なことを断片的にしか覚えていません。

 

正直、ここで完全に心が壊れました。

「家族」というものに対しての憧れが一気に消え失せました。

 

母は宗教をしているわたしじゃないと愛してくれない

父はそもそも家族に愛着がない

 

あ、わたしって、素のままで一番に愛してもらえないんだなあ、と認識しました。

 

メンタルがたがたではあったものの大学になんとか進学し、卒業時の就活で「家を出る」と決めました。

 

関西で育った私は、東京の会社に就職。

1人暮らしをすることで実家と宗教活動から距離を置きました。

 

仕事は正直うまくいかなくて、4年後に実家に出戻り。

でもこの4年は大きかったです。

家からも宗教からも離れられて、現在の夫と出会ったのですから。

これがなかったら今、実家を出ることも、関東で暮らすこともなかったです。

 

夫との暮らしで感じたこと

ありきたりな表現ですが、夫は非常にいい人で、わたしの実家のような問題もかかえておらず

宗教のカミングアウトも軽く受け流してくれました。

わたしはもう宗教を継ぐ気はなかったので、その説明も必死にしましたが

いい意味で全く関心がなさそうで、すごくほっとしました。

 

付き合っていたころは、遠距離恋愛だったため、毎日連絡を取るわけでもなく、

ドライなんだろうなと思っていたのですが

結婚して一緒に暮らし始めると、非常に家を好きでいてくれて、

帰る時間を教えてくれたり、

父のように毎週家族をほっぽって外に遊びに行かないし、

(すごく驚いた。父親は「そういうもの」だと思っていたからカルチャーショック)

わたしと過ごす時間を楽しもうとしてくれてるのがすごく伝わりました。

 

わたしの父親、なんだったの?

とむなしく思ったこともあったけど、なによりも

 

わたし、めちゃくちゃ愛してもらってんな・・・

 

と、すごくすごくうれしく思いました。

「夫からの愛情優先順位 堂々の第一位!」を身に染みて感じました。

 

そう思っていた折に、夫から衝撃のひとこと。

「子どもができたら、その子が一番。自分が一番の時代は終わりだね」

 

わたしの心の声:えっ…それは困る。。

 

愛に関して突如ジャイアン化するわたし

こんなにほくほくした気持ち、もう手放さなきゃいけないのか?

結婚してもうすぐ2年、確かに十分すぎる愛情を受け取ったけど

わたし、愛に関してはこんなに人間できてなかったのか?

 

夫の愛情優先順位 第一位:子ども 第二位:わたし か・・・

 

腹の中がざわついてしまう。

いや、子どもにくらい譲れよ!とおもうのだが、腹の中でわたしが駄々をこねる。

あああああ、さみしい・・・(いい年してなんなのか…)

 

しかも女の子だったら…わたしみたいにややこしい性格になるんだろうか。

そんな女の子に夫の愛情をとられる…と考えてしまう自分がいる。

そう、特に女の子だったらどうしよう、と思ってしまってるのだ。

 

家庭環境で苦労した友人が、母親になった姿を見て感じたこと

壮絶な虐待を受けて育った友人がいる。一族には過酷な家族関係ゆえか、死人がいるなど、もう、想像を絶する環境で育っている。

 

その友人は日本を離れて結婚し、現在はヨーロッパのとある国で暮らしている。

たぶん日本を離れたのは、わたしが関西を離れた理由と似ていて、わたしよりも相当強い意志と、覚悟だとおもう。

 

友人も非常に子どもを持つことに抵抗があって、トラウマ治療にカウンセリングにも通っている。

そんな友人が親になった。

「女の子ができる気がする。そういう運命な気がする。。」と言っていて、

なんか、わかるわその不安…と思っていたが、

性別が男の子と判明し、友人も少しほっとしているように見えたし、

わたしもほっとした。

 

今ではよく写真や動画を送ってくれるのだが、ものすごく大変そうで、でもかわいくて「愛情がとられる」なんて考えている暇はなさそうだ。

 

そもそも生かしておくのが大変なのだ。

生かしておくことに必死で、そのうち愛さずにはいられなくなるのかもしれない。

友人を見ていると、そう思うようになった。

 

最初から思春期があるわけではない。

ほにゃほにゃの乳幼児期があり、自己主張を始める幼児期があり…

そんな子どもと向き合ううちに自然と愛情がついてくるのかもしれない。

 

女の子だったら怖いかもしれない…という気持ちがないわけではないが

もう、お腹に宿ったら無事を願う以外ないよな、と思った。

友人の姿は、わたしの考え方に大きな変化をもたらした。

 

振り子のように揺れる心と覚悟

子どもを育てたい、と思う日も、いやまだ早い、と思う日もある。

まだわたしはピルを飲んでいる。

年齢的に、ほしい時に薬をやめればできるとも限らない。

時間が無くなってきている。

ただ、少しずつ、覚悟を決めるしかないと思いつつある自分がいる。

いつか覚悟が決まった日、この日記を読んでどう思うのだろう。

せっかくほしいと思ったのに、子どもができにくい体だったら、こんな罰当たりなことを考えていたことを責めるだろうか。

いろいろと考えながら、気持ちの底を覗きながら書きました。

 

31歳のわたしより。いつかのわたしに向けて。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

ぷらぷら就活。

ぷらぷらと、就活再開

実は、わたくし、絶賛就活中です。

 

新卒の2011年から転職を2回ほどして、2019年の12月まで働いていたのですが、前職忙しすぎて退職しました。で、2020年6月現在まで無職です。完全に扶養されています。

 

今はネットでぽちぽち応募していますが、8月くらいまでには仕事に就きたいなと思いつつ。おそらく結構厳しいですが、やるしかない。

 

今年2020年、ほんとうはオリンピックパラリンピックイヤーで盛り上がりまくりの予定だったのですが、年明けから新型コロナウイルスが出てきて、世界中ひっくり返ってしまいましたね。

 

 

就活戦線についても去年までは「オリパラ需要」とか「超・売り手市場」と言われていたけど、どうなることやら。冷えっ冷えなんだろうか。笑

 

わたし、おそらく年齢的に厳しい(30代前半)と思うので、それほど期待はしていない。既婚で、どう考えてもこのあと妊娠出産するっしょ、みたいな年齢。よっぽど会社に余裕ないと採用したくなくない?できるかどうかなんてわかんないのに警戒されるのも不本意だけども。

 

自己分析は新卒で死ぬほどやったので、軽く得意なことと苦手なことでも書き記しましょうか。めっちゃ普通です。ぜんぜんありきたりな人なのでびっくりなんですが。

 

わたしが得意なこと

  1. 文章を書くこと
  2. 簡単な英語のメール(見積書送ったりとか簡単な問い合わせ)

  3. 新しいことを考えること

わたしが苦手なこと

  1. 数字を扱うこと(見積書作ったりとか)
  2. 議事録の作成
  3. 短い期間で同じ仕事を繰り返すこと

 

だ、だいじょうぶかなァわたし。

どー考えても一般事務とか営業事務、向いてないよね。

 

これ絶対、志村けんも「大丈夫だぁ」って言ってくれないパターンだよね。

 

特に苦手なことなんだけど、見積書とか議事録とか、かなり苦手意識があります。あと、毎日全く同じ仕事は刺激が弱くて飽きてしまうという…。そんな人いませんか?みんな飽きませんか?

そうだなあ、シーズンごとに(まさに春夏秋冬で)仕事内容変わったりしたら楽しいんだけど。一回そういう営業事務についたことがあって、それは割と楽しかったんだよね。この仕事が終わったらああーもうこんな季節か!みたいな。よっしゃ次の季節だ!みたいな。どの季節もちょー忙しかったんだけど、やることが結構変わるんですよね。起伏があって楽しかった。これはね、ラグジュアリーホテルの営業事務で経験しました。

 

こまったなあ、文章なら好きなんだけど。ライターとかがいいのかな?でも何系の?となってしまい、その道はあまり考えていません。こうやって日記ブログ更新するほうが気楽で楽しいし、、、と弱腰に思っています。逃げかなあ。ライターのお仕事も応募してみるか。検索のしかたわかんないけど、やってみます。せっかくだし。

 

どうなることやら。でもさ、せっかく大学出たから働きたいんだよね。

 

氷河期は2011年の新卒就活で経験済みだから、冷え冷えは覚悟してる。

 

がんばります。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

「かおるの日記。」を始めた理由

わああ。この感覚、懐かしいな。

 

この文章を読んでくださっている方、ありがとうございます!

(あっこれ、言ってみたかったやつ!)

 

30代前半のわたしにとって、このように他人に読まれる(かもしれない)文章をつらつらと書くのは大学生のころの「mixi」以来です。

 

あの頃は、わたしの知っている人にしか読まれないように設定していたけれど、今度はあけっぴろげ状態で書きます。匿名でやっていきますが、わたしはそこらへんにいるごく普通の30代前半の人間です。

 

一人称とか、言葉遣いとかしばらく定まらないと思いますが、あまり読んでいてストレスのない文章にしていきます。

 

「かおるの日記。」を始めた理由。

  1. 日記の代わり
  2. 日々変わっていく考え方の記録
  3. 書いている人がうらやましくなったから

 

1.日記の代わり

 これまでは日記は紙の手帳に書いて、時々見返すスタイルにしていました。この時こんなことを思っていたのか~とか、面白かったり、ときには参考になったりもするんですね。でも手帳って、溜まっていくじゃないですか。置く場所ないし、押し入れの奥にしまってしまったら頻繁に読めないし、だったら、ブログにしちゃったほうがいいかなと思ってそうしました。noteと迷ったのですが、noteはある程度テーマが決まっている人が書くほうがいいのかなと思い、はてなブログにしました。

 

 

2.日々変わっていく思考の記録

 これは近年すごく感じていることで、焦りに近い気持ちです。わたしは今結婚しているのですが、30代に入って、少しずつ仕事や、家族というものに対する気持ちが変わってきているのを感じました。でも、グラデーションのように移り変わるというよりも、「絶対Aの考え」だったり「いや、Bの考え」みたいなのが交互にきて、だんだん、どちらかに固まっていくような感覚になりました。

 

 人には今はいろいろな生き方があるので、Aの考え方もBの考え方もあると思うのです。でも、自分がどちらかを選んでしまったら、ほかの考え方をしていたころを忘れてしまったり、他の考え方を否定してしまうのかな、と思ったのです。特に人って、選んだものを正しいと思いたい、と願ってる気がして。正しいと思うために他を否定する必要はないけど、否定しがちだと思うのですよね。

 

 役目や立場が変わったら意見も変わる。これでいいと思うけど、過去の自分がどういう思いだったかくらいは残しておいてもいいんじゃないかなと思って。

 おそらくこれから思考はどんどん変わっていくと思うので、変わってしまう前にいろいろ残さなきゃ!と思ってこの日記を書くことにしました。

 

 

3.書いている人がうらやましくなったから

 わたしは昔から、作文は何でも好きでした。思い出作文はだいたいクラスで発表されたし、読書感想文は佳作をとったり、詩を書くのも好きだった。大学のレポートも大体楽しかった。「湧き出る自分の考えを書くのた~のし~~~!」って思ってました。いつか文章で仕事してみたいな、とも思ったこともありました。

 

 でも実際は、旅行会社で働いたり、営業マンになってみたりと「みんなが選びそうな道」を選んでしまって、忙しくなって、文章から離れていました。ちょっと文章が好きだからって、仕事になんかならないと思い、文章力のなさがばれるのが怖くて、逃げちゃいました。

 

 最近noteをよく読むようになって、気になった人をフォローしたりしています。そうするうちに、だんだんうらやましくなってきたのです。文章を書いている人が。いいなあ、こんな風に書けて。読んでもらえて。スキしてもらえていいなって思い始めました。

 

 私が好きな作家の一人がよしもとばななさんなのですが、ばななさん(この呼び方でいいのか…)がある日、noteで「昔、書かずには居られなかった」とおっしゃっていて、なんだかそれが妙に忘れられませんでした。

 

 

綺麗に書けないかもしれない、考えが湧き出さないかもしれない。何の意味もない、誰のためにもならない文章かもしれない。でも、書きたいから書く。それでいいじゃん!と思い、書くことにしました。

 

 

 

主に自分のためになってしまうけど、読んでくれる人の存在も何となく意識しながら書いていきますので、どうぞよろしく。