かおるの日記。

日々の考え事を記録するブログ。

心境の変化 ~子供をもつことについて~

子どもを産むことへの抵抗

こんなことを書いたら後悔するかもしれない。

でも、今思っていることを正直に記すことは、あとから見返してまた考え直すきっかけになるから書く。

わたしは最近まで、「子どもを産むこと」に非常に抵抗があった。

今も少しある。でも確実に、それが薄れてきている。グラデーションみたいに。

そのうち「産みたい」になりそうで、そうなったらもしかしたら

「産みたくない、産むのが怖い」と思っていたころの気持ちが無くなってしまうかもしれない。

妊娠したらマタニティーハイ、産んだら子どもを守るための魔物になって、もう戻れなくなってしまう気がして、完全に変わってしまう前の今、書くことにした。

 

訳のわからない役割をふられる感覚

子どもを産んだら、母親はわき役になってしまう気がしてしまう。

ドラマでも映画でも「母親」のポジションって「なんだか物語の筋をよくわかってなくて、主人公である子どもの危険を過剰に心配する役」として描かれません?

わたしはそれがすごく嫌でした。

そんな母親を子どもは鬱陶しいと邪険にして、衝突して、結局最後は母親が「子どもだと思っていたけど、成長していないのはアタシだったのね…」とか言い出すパターンじゃない?(古すぎますかね)

自分がそれになるなんて嫌すぎる。

産んだ瞬間「常に」「子ども第一」で生きることが美徳みたいな世界に突入するのが…痛すぎる。そうならなきゃ許されない。そんな聖母みたいになれない、絶対。

 

やっと獲得した「愛情注がれる順位 第1位」を手放したくない

これ、書くのすごい迷います。

これ書いちゃったらどう考えてもやばいやつになるんですよ…。

お前自己中かよって思われること間違いなし…。

なんなら「そんなこと思ってるなら一生、親になるな」って思われそう。

しかし書かなければ乗り越えられない気がするから書きます。

広い世界には絶対、わたしと同じ思いしてる人もいるはずでしょ!

ええい。

 

生い立ちのようなもの

実はわたし、夫と結婚してやっと「飾らない自分を愛してもらってる」という感覚になったんですよね。

長くなるので、下記は読み飛ばして次の太字に進んでいただいても大丈夫です。

記録したいのです。

 

実家の両親は、新興宗教を「信じる/信じない」で信条が分断していて、しょっちゅうもめてました。

で、わたしと弟は物心つく前に信者になっていて、非常に微妙な立ち位置で育ってきました。

宗教活動をすれば信じない父を傷つけてしまい、活動しなければ母を傷つける環境にいました。どちらも同時に幸せにすることができていない感覚が幼い頃からずっとわたしの心を支配し、わたしの心はいつもぐらぐらしていました。

宗教活動に出かける前、父親に申し訳なくて、むすっとテレビを見る父親を振り返っていた記憶があります。

 

せめていい子でいることが、わたしの心を落ち着かせていました。

あまり活動のことは、父親には話さないようにしていました。

たぶん、仲は良かった、とおもっています。

 

が。大事件が起こります。

わたしが高校生の時、父が知り合いと浮気をしていることが発覚。

わたしのせいかな、と自分を責めました。

わたしが宗教の信者で、父にさみしい思いをさせたからかな、と悔やみました。反抗期でもあったし。

 

母はここで一時的に心を壊し、わたしにいろんなことを相談してきました。

わたしは相談や、時には愚痴に必死に乗り続けました。

そこで初めて、父が生活費をあまり渡してくれないことを知りました。

今でも、給与明細は渡していないそうです。

 

そのころはかなりきつかったです。

親が、わたしの聞いたことない声で別室でもめているのが聞こえてきたり、

父が嘘くさく「愛してるよ」といった言葉に吐き気を催したり、

母が泣きながら結婚指輪を投げて、わたしが拾ってみたり…

いろいろありすぎて、当時のことは嫌なことを断片的にしか覚えていません。

 

正直、ここで完全に心が壊れました。

「家族」というものに対しての憧れが一気に消え失せました。

 

母は宗教をしているわたしじゃないと愛してくれない

父はそもそも家族に愛着がない

 

あ、わたしって、素のままで一番に愛してもらえないんだなあ、と認識しました。

 

メンタルがたがたではあったものの大学になんとか進学し、卒業時の就活で「家を出る」と決めました。

 

関西で育った私は、東京の会社に就職。

1人暮らしをすることで実家と宗教活動から距離を置きました。

 

仕事は正直うまくいかなくて、4年後に実家に出戻り。

でもこの4年は大きかったです。

家からも宗教からも離れられて、現在の夫と出会ったのですから。

これがなかったら今、実家を出ることも、関東で暮らすこともなかったです。

 

夫との暮らしで感じたこと

ありきたりな表現ですが、夫は非常にいい人で、わたしの実家のような問題もかかえておらず

宗教のカミングアウトも軽く受け流してくれました。

わたしはもう宗教を継ぐ気はなかったので、その説明も必死にしましたが

いい意味で全く関心がなさそうで、すごくほっとしました。

 

付き合っていたころは、遠距離恋愛だったため、毎日連絡を取るわけでもなく、

ドライなんだろうなと思っていたのですが

結婚して一緒に暮らし始めると、非常に家を好きでいてくれて、

帰る時間を教えてくれたり、

父のように毎週家族をほっぽって外に遊びに行かないし、

(すごく驚いた。父親は「そういうもの」だと思っていたからカルチャーショック)

わたしと過ごす時間を楽しもうとしてくれてるのがすごく伝わりました。

 

わたしの父親、なんだったの?

とむなしく思ったこともあったけど、なによりも

 

わたし、めちゃくちゃ愛してもらってんな・・・

 

と、すごくすごくうれしく思いました。

「夫からの愛情優先順位 堂々の第一位!」を身に染みて感じました。

 

そう思っていた折に、夫から衝撃のひとこと。

「子どもができたら、その子が一番。自分が一番の時代は終わりだね」

 

わたしの心の声:えっ…それは困る。。

 

愛に関して突如ジャイアン化するわたし

こんなにほくほくした気持ち、もう手放さなきゃいけないのか?

結婚してもうすぐ2年、確かに十分すぎる愛情を受け取ったけど

わたし、愛に関してはこんなに人間できてなかったのか?

 

夫の愛情優先順位 第一位:子ども 第二位:わたし か・・・

 

腹の中がざわついてしまう。

いや、子どもにくらい譲れよ!とおもうのだが、腹の中でわたしが駄々をこねる。

あああああ、さみしい・・・(いい年してなんなのか…)

 

しかも女の子だったら…わたしみたいにややこしい性格になるんだろうか。

そんな女の子に夫の愛情をとられる…と考えてしまう自分がいる。

そう、特に女の子だったらどうしよう、と思ってしまってるのだ。

 

家庭環境で苦労した友人が、母親になった姿を見て感じたこと

壮絶な虐待を受けて育った友人がいる。一族には過酷な家族関係ゆえか、死人がいるなど、もう、想像を絶する環境で育っている。

 

その友人は日本を離れて結婚し、現在はヨーロッパのとある国で暮らしている。

たぶん日本を離れたのは、わたしが関西を離れた理由と似ていて、わたしよりも相当強い意志と、覚悟だとおもう。

 

友人も非常に子どもを持つことに抵抗があって、トラウマ治療にカウンセリングにも通っている。

そんな友人が親になった。

「女の子ができる気がする。そういう運命な気がする。。」と言っていて、

なんか、わかるわその不安…と思っていたが、

性別が男の子と判明し、友人も少しほっとしているように見えたし、

わたしもほっとした。

 

今ではよく写真や動画を送ってくれるのだが、ものすごく大変そうで、でもかわいくて「愛情がとられる」なんて考えている暇はなさそうだ。

 

そもそも生かしておくのが大変なのだ。

生かしておくことに必死で、そのうち愛さずにはいられなくなるのかもしれない。

友人を見ていると、そう思うようになった。

 

最初から思春期があるわけではない。

ほにゃほにゃの乳幼児期があり、自己主張を始める幼児期があり…

そんな子どもと向き合ううちに自然と愛情がついてくるのかもしれない。

 

女の子だったら怖いかもしれない…という気持ちがないわけではないが

もう、お腹に宿ったら無事を願う以外ないよな、と思った。

友人の姿は、わたしの考え方に大きな変化をもたらした。

 

振り子のように揺れる心と覚悟

子どもを育てたい、と思う日も、いやまだ早い、と思う日もある。

まだわたしはピルを飲んでいる。

年齢的に、ほしい時に薬をやめればできるとも限らない。

時間が無くなってきている。

ただ、少しずつ、覚悟を決めるしかないと思いつつある自分がいる。

いつか覚悟が決まった日、この日記を読んでどう思うのだろう。

せっかくほしいと思ったのに、子どもができにくい体だったら、こんな罰当たりなことを考えていたことを責めるだろうか。

いろいろと考えながら、気持ちの底を覗きながら書きました。

 

31歳のわたしより。いつかのわたしに向けて。

 

ではでは。